国立新美術館に行ってきました。
二つの企画展のチケットがあったにもかかわらず、観るのに時間がかかってしまって行けたのはひとつ。 「20世紀美術探検-アーティスト達の3つの冒険物語」
美術館って行くとぐったり疲れてしまう。
あんまりひとつひとつ真剣に見ると出れなくもなってしまうので、いつもパッとみてなにもひっかからないようなものは飛ばすようにしてる。それが見方としていいのかどうかわからないけど、ひとつひとつ順番に並んで見ていくのは自分には合ってない。
たぶん人それぞれ見方が違うんだろうから、色々な人と行くと未知の発見があって楽しいと思う。実際、一緒に行った人と下のカフェでいろいろ話したけど、一枚の絵でもかなり受けとり方は違うもんやね。 その人は意味を考えるんだそうだ。どういう気持で絵を書いたのか?なぞっていくらしい。 自分はなんか感じるものがあってから、なんやろこの感じ? と考えてどんどん細かいとこを見てく。 絵にかなり近寄ってしまう時もよくあって、学芸員さんの視線が痛い。
なんでもそうやけど(建築でも、美術でも、映画でも)、色々な所に連れていってくれるものがいい。 想像の触媒になっている、そこからどこへでもいけるようなもの。
吉原治良という全然知らない人の絵が一番心に残ってる。
砂浜に、漁かなにかで使うだろう鎌みたいなのをイスにのせてるだけの静物画。
よく見るとなんとなくかすれて粗い画面が海の近くにある建物が風化したような味わいをだしてる。なにも考えなくてもスルリと心に入ってくるようなかんじで、描きたいものを描いたっていうまっすぐなところが好きだった。
もう一つおもしろかったのは、額。
この企画展、20世紀の作品を年代順に網羅してあるんやけども、年代が上がるにつれてどんどんフレームが細くなってゆく。 そして時々、フレームなしにキャンバスだけのものも目につくようになってゆく。 もちろん平面一辺倒から、立体的になってゆくっていうおおきな流れもあるんだけれど、なんとなく建築のファサードに似てる気がして額が気になった。
(書きかけ。)
月末に東京へ行くので、
国立新美術館にも行ってみようかしら。
また久しぶりに会いたいですね。
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昔、額を手彫りで彫ってしまったという、
イターイ過去がある私ですが、
額自体の放つ存在感は侮れません。余計に。
投稿情報: interpretation | 2007.03.14 17:36
なんか四月始めに来るっていうのは聞いてたけど、もっと早いんやね。 じゃあどっか食事にでも行こうか! 国立新もいいけど、原ミュージアムとか行ってみない? こじんまりしてそうでいい感じ。
http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
額って大事やね。茶道具の桐の箱みたいに、額でその絵の価値がわかっちゃうところもあるし。 怖いけども。
大事なものはしまっておきたいっていう心理は万国共通のものかも。 箱入り娘ってね。
投稿情報: kozo | 2007.03.16 09:05