茂木健一郎の「脳と仮想」という本を読んでいる。
その中で、ハッとさせられた文章があった。
"記憶というのは、それが思い出せるかどうかが本質なのではない。むしろ思い出せないからこそ切実な記憶というものがある。 思い出せない過去という巨大な仮想の上に、「今、ここ」の私は生きている。"
先週、花見をしに青山墓地に行った。
友達と二人で場所取りをしなければいけなかったので、昼前に行って墓地のなかの少し広い道のアスファルトの上に、ブルーシートとブランケットを敷いた。他の人が来るまで時間があったので、お互いスケッチしたり、写真を撮ったりして時間が過ぎるのを待っていた。
そんなかんじで自分達の中で桜を満喫していた時に周りを見ると、子供連れの人が結構いる。 ベビーカーを押してる女の人がよくそばを通りかかった。
「日本人って昔から桜が好きだったのかなぁ? 最初から桜を見てイイって思ったのかなぁ。」と友達がつぶやく。
なんだかよくわからないので「最初からイイって思ったんちゃう?」と直感で言ってみる。
そういうふうにして、小学校の入学式でみた桜はよかった、とか小さい時よくしたイタズラとかいう話題に移っていった。 桜を起点にして、いろんな過去のエピソードがでてくるのだけど、なんというか桜を見て思う事っていうのは 単に色が花がキレイだとかいう事ではないように思う。簡単に言うと、「別れと出会い」のない交ぜになった感じだけれども、なんとなく甘酸っぱいような、こらから新しい事が起きるような、もやもやとしたよくわからない感情が湧き起こる。 これってなんだろう?
日本人は昔から桜が好きかどうか、尋ねられて初めて昔の人と桜を想像してみた。
飛鳥時代ぐらいが僕の想像の限界で、石舞台とかの巨石の周りで酒を飲んで、宴会を開いていたかもしれない。厳しい冬の終わり、春の到来を告げるのが桜であって昔の人も気候の暖かさに心躍ったに違いない。
そういう日本で暮らして来た人の思いが自分の記憶の中にもあるし、街の至る所にまとわりついているんだと思う。 なにかわからないけれども心が動く時、よくよく辿ってみると忘れていた記憶を思い出す事もある。